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柿本神社

 
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 妹の家に出向いた母とは別行動となり、明石天文科学館まで足をのばした帰り道でのこと。路地の突き当たりに佇む鳥居の存在が気になった。


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 名水「亀の水」で両の手を清め、急峻な石の階段をおおむね右方向へと上っていくと、意外なことに、天文科学館の裏手に出た。

 鳥居に刻まれた神社名と、周辺の地名「人丸町」から、ここの祭神の正体が自ずと推測できた。


 「天離(あまさか)る 夷(ひな)の長通(ながち) 
  恋ひ来(く)れば 明石の門(と)より大和(やまと)島見ゆ
 
[*「あま」は、中央、都の意。「さかる」は、離れる、遠く隔たるの意味(=下がる)のようです。続く「夷」ですが、字源は、弓と人の合字で「弓を持つ人」の意味があり、「い、えびす」と読むのが通例です。かたや、「ひな」は日無(ヒナ)。または、辺鄙(へんぴ)と解する考察もあり、ここの2文字目に「ひな」と読む字が出てきます。類推するに、「夷」とは、東方の未開人(東夷)。つまり、日が当たらないような辺鄙な、人外魔境の地に住む民のことで、こういった“悪字”が日常的に使われていたのかもしれません。意味合い的には、やはり「鄙(ひな)」の字をあてた方がしっくりくる印象です]


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 木漏れ日の先に月照寺の屋根。やがて眼前が開け、建造中の巨大な竜骨(キール)のような明石大橋が見えた。「明石の門(と)」とは、明石海峡のことだ。

 動力のない当時の船で、難波の港から明石海峡を抜けて、人外魔境の地(*1300年前にはそんな意識で捉えらえていたのでしょうか?)に赴き、そして無事帰還できたとき。見覚えのある大和方面の山容(生駒、信貴、二上山などの大和の国に続く山並み)を確認できた瞬間の、安堵感や、達成感が、「恋ひ来れば」に集約されているように思えた。

 大気汚染の激しい現在とは比べ物にならないくらい、当時の風景は輝きに満ちていたことだろう。そんな情景を、限られた文字数で余すところなく写し取ったここの祭神の名は、歌人・柿本人麻呂(660〜724)。

 春先から悩まされていたある症状からも解放され、晴れ晴れとした気持ちで参拝を済ませ、明石駅の方角へ急いだ。

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